昨日から今日にかけて、東京電力福島第一原発から20〜30km屋内避難圏内にある、南相馬市原町区の実家の様子を見に行ってきました。
海岸沿いの六号線は通行できないので、常磐道から磐越道へ入り小野ICから国道349号を北上します。
途中、「浪江管内警戒区域立入禁止」という看板のかかる道路を通り、川俣町から飯舘村を抜け、南相馬市に入りました。
六号線が通れない今、南相馬市へ入る車はみな飯舘村を通る県道12号を利用しているようで、通常ならありえない交通量でした。
途中、23年度中に開通予定だった常磐道の下を通りました。
もうほとんどあらかた出来ていて、最後の仕上げに取りかかるところだったようです。
トラックや重機もそのままにおいてありました。
現在、開通の見通しはたたなくなっています。
実家は南相馬市原町区の住宅街にありますが、実家のあるあたりは、地震の揺れの被害もさほどなかったようで、拍子抜けするくらい元のままでした。
一度は避難した人達も戻り始めているようで、驚くほど交通量が多く、人が増えていました。
避難生活を経験した人が口を揃えて言うのは、「避難生活は大変」という事です。
宙ぶらりんですることのない生活、当てのない仮暮らしをいつまで続けるのかという精神的負担は、考える以上に大変なことです。
父の実家は、南相馬市鹿島区にあります。
毎年、年に1、2度は墓参りに行っていました。
津波の被害がひどかったところです。
実家は無事だと聞いていましたが、様子を見てきました。
国道六号まで、漁船が大量に流れ着いていました。
遠くに海岸線が見えますが、津波前は松林に覆われて、海岸線は見えませんでした。
この辺りは、集落があって、建物が建ち並んでいたところです。
海はすぐ側ですが、建物と海岸沿いの松林で防波堤は見えませんでした。
こんな光景が広範に広がっています。
方向感覚がまったくなくなります。
この風景を目の当たりにすると、被災した方に、今は、「がんばれ」とは言えないです。
どうにか日々をつないでください、と祈るような気持ちです。
範囲も広範にわたるこの被害は、一時期の盛り上がりだけで回復できるようなダメージではないと思います。
今、被災地を応援して下さっている方々、何も出来ないと思って下さっている方々、どうか、そのお気持ちを少しでも長く持ち続けて、長期的に関心を持ち続けて下さいますよう、心からお願い致します。
父の実家は高台にあり、津波の時には、下の集落の人達が避難してきたそうです。
裏の畑から見た風景です。
海まで、ずっと穏やかな田園風景と、集落、海岸沿いの松林が広がる場所でした。
いわき市もそうですが、南相馬市も、原発の影響で他県からの応援が入らず、瓦礫の撤去もなかなか進まないようです。
ここから南側に向かって、20km圏内の被害も同様に甚大だと聞いています。
故郷へ向かう穏やかな六号線沿いの風景が無残に壊され、瓦礫の下に取り残されたままの人が多数いるという事実には、言葉になりません。
放射性物質については、不安がないと言えば、嘘になります。
ですが、不安だからこそ、より確かなデータを確認しています。
そして、より確かな専門家の意見を信じるようにしています。
現在は、問題がないレベルだと思っていますし、もう少し、事態が落ち着き、現在の放射線レベルがどこまで下がるのか、それを見極める余裕は充分にあると思っています。
続けさせていただけるお仕事がある限り、今まで通り、これまで以上に、丁寧に勤めさせていただきたいと思っています。