2009.06.07 Sunday
【本】原田紀子著『西岡常一と語る木の家は三百年』
西岡常一さんというのは、法隆寺金堂や薬師寺金堂の復元を手がけ、「最後の宮大工」とも言われた、超有名な名人大工です。
この本は、その西岡さんがお亡くなりになった年の1995年、今から14年前に出た本です。
西岡常一と語る 木の家は三百年 (朝日文庫)
それに、最近出た「続編」をあわせて読んでみました。
伝統技法で茅葺き小屋を建ててみた―『木の家は三百年』実践記 (人間選書)
読んでしまって、しまった!と思うのは、これを読むと、自分で家を建てる気がなくなってしまうこと。
西岡さんが言われる、本当の昔ながらの伝統工法は、今の建築基準法ではほとんど建てられないんですね。
まず、基礎からしてダメなんです。
今は、コンクリートでガッシリ基礎を作り、その上に直接木の柱を立てることが建築基準法で定められています。
けれど、西岡さんは、それがいけない、と言います。
なぜなら、セメントは、水を含むことによって固まるという性質があるからです。(専門用語では、「水硬性セメント」と言います)
常時水分を保つ性質があるセメントよりも、より水分量の少ない石の上に柱を立てた方が、柱は長持ちする、と言うのです。
耐震構造の面から見ても、基礎と柱を金具で固定する工法が必ずしも優れているとは言い難いようですし、これ以外にも、言われてみればその通り、実に「理に叶っている」という事が随所に書かれているのですが…、
だけど、実際問題、色々な面で、現代の家作りでは、ほとんど不可能だよな…と思わざるを得ないのが悲しいところです。
なによりの問題は、私も含めた現代の日本人が、「三百年」家が保つ、ということに、があまり価値を見いださないだろうということなんだろうな、と思います。
昔は、家を一度建てれば、孫どころかひ孫、夜叉孫そのまた子どもまでずっとその家に住む、という前提でした。
ですが、今は、その前提自体が崩れてしまっています。
自分一代しか住まないと考えると、三百年と言われてもあまり意味を感じられないのは致し方ないことかもしれません。
また時代の流れが変わって、子々孫々、ずっと住める家を造りたい、という考えが主流になってきたとき、施工できる環境(職人、材料、道具)が残っていなかった、というのは、なんとも笑えない状況ですが、大いにありうるのがまた悲しいところです。
ちなみに、私の考える「いい家」は、なんと言っても
庇(ひさし)のある家!
これにつきます。
日本全国の植木屋さん皆さん、これには賛成してくれるはずです。
庇があると、すっごく助かるんです。
ちょっと雨がぱらついてきたときの雨宿り、
夏の暑い日差しでの一服休み、昼休み、
工期が長い現場での道具の置き場所。
この内でも外でもない、曖昧な空間って、日本文化の独自性ではないかと思うのですけれど、最近の建物は、庇がない住宅が多いので、残念です。
雨水、紫外線も遮るので、建物や中の家財道具のためにもいいですし、それから、庇があると、家の中から外を眺めたときの風景がキレイに見えるんです。
「フレーム効果」と言うのですが、庇が絵画で言う額縁の役割をして、陰影を際だたせるので、風景が一層美しく見えるのです。
たかだか景色でしょ? と思われるかもしれませんが、365日毎日毎日、しかも朝起きて一番に見える景色が美しいかどうかって、数字には換算できない価値があると思うのです。
生活の豊かさを実感するためにも、庇のある家でお庭を眺めませんか?
と強引に庭に結びつけて、なんとか、オチをつけて、長くなってしまった文章のまとめにしてしまいます。
この本は、その西岡さんがお亡くなりになった年の1995年、今から14年前に出た本です。
西岡常一と語る 木の家は三百年 (朝日文庫)
それに、最近出た「続編」をあわせて読んでみました。
伝統技法で茅葺き小屋を建ててみた―『木の家は三百年』実践記 (人間選書)
読んでしまって、しまった!と思うのは、これを読むと、自分で家を建てる気がなくなってしまうこと。
西岡さんが言われる、本当の昔ながらの伝統工法は、今の建築基準法ではほとんど建てられないんですね。
まず、基礎からしてダメなんです。
今は、コンクリートでガッシリ基礎を作り、その上に直接木の柱を立てることが建築基準法で定められています。
けれど、西岡さんは、それがいけない、と言います。
なぜなら、セメントは、水を含むことによって固まるという性質があるからです。(専門用語では、「水硬性セメント」と言います)
常時水分を保つ性質があるセメントよりも、より水分量の少ない石の上に柱を立てた方が、柱は長持ちする、と言うのです。
耐震構造の面から見ても、基礎と柱を金具で固定する工法が必ずしも優れているとは言い難いようですし、これ以外にも、言われてみればその通り、実に「理に叶っている」という事が随所に書かれているのですが…、
だけど、実際問題、色々な面で、現代の家作りでは、ほとんど不可能だよな…と思わざるを得ないのが悲しいところです。
なによりの問題は、私も含めた現代の日本人が、「三百年」家が保つ、ということに、があまり価値を見いださないだろうということなんだろうな、と思います。
昔は、家を一度建てれば、孫どころかひ孫、夜叉孫そのまた子どもまでずっとその家に住む、という前提でした。
ですが、今は、その前提自体が崩れてしまっています。
自分一代しか住まないと考えると、三百年と言われてもあまり意味を感じられないのは致し方ないことかもしれません。
また時代の流れが変わって、子々孫々、ずっと住める家を造りたい、という考えが主流になってきたとき、施工できる環境(職人、材料、道具)が残っていなかった、というのは、なんとも笑えない状況ですが、大いにありうるのがまた悲しいところです。
ちなみに、私の考える「いい家」は、なんと言っても
庇(ひさし)のある家!
これにつきます。
日本全国の植木屋さん皆さん、これには賛成してくれるはずです。
庇があると、すっごく助かるんです。
ちょっと雨がぱらついてきたときの雨宿り、
夏の暑い日差しでの一服休み、昼休み、
工期が長い現場での道具の置き場所。
この内でも外でもない、曖昧な空間って、日本文化の独自性ではないかと思うのですけれど、最近の建物は、庇がない住宅が多いので、残念です。
雨水、紫外線も遮るので、建物や中の家財道具のためにもいいですし、それから、庇があると、家の中から外を眺めたときの風景がキレイに見えるんです。
「フレーム効果」と言うのですが、庇が絵画で言う額縁の役割をして、陰影を際だたせるので、風景が一層美しく見えるのです。
たかだか景色でしょ? と思われるかもしれませんが、365日毎日毎日、しかも朝起きて一番に見える景色が美しいかどうかって、数字には換算できない価値があると思うのです。
生活の豊かさを実感するためにも、庇のある家でお庭を眺めませんか?
と強引に庭に結びつけて、なんとか、オチをつけて、長くなってしまった文章のまとめにしてしまいます。