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【本】原田紀子著『西岡常一と語る木の家は三百年』
 西岡常一さんというのは、法隆寺金堂や薬師寺金堂の復元を手がけ、「最後の宮大工」とも言われた、超有名な名人大工です。
 この本は、その西岡さんがお亡くなりになった年の1995年、今から14年前に出た本です。

西岡常一と語る 木の家は三百年 (朝日文庫)
西岡常一と語る 木の家は三百年 (朝日文庫)

それに、最近出た「続編」をあわせて読んでみました。

伝統技法で茅葺き小屋を建ててみた―『木の家は三百年』実践記 (人間選書)
伝統技法で茅葺き小屋を建ててみた―『木の家は三百年』実践記 (人間選書)


 読んでしまって、しまった!と思うのは、これを読むと、自分で家を建てる気がなくなってしまうこと。
 西岡さんが言われる、本当の昔ながらの伝統工法は、今の建築基準法ではほとんど建てられないんですね。
 まず、基礎からしてダメなんです。
 今は、コンクリートでガッシリ基礎を作り、その上に直接木の柱を立てることが建築基準法で定められています。
 けれど、西岡さんは、それがいけない、と言います。
 なぜなら、セメントは、水を含むことによって固まるという性質があるからです。(専門用語では、「水硬性セメント」と言います)
 常時水分を保つ性質があるセメントよりも、より水分量の少ない石の上に柱を立てた方が、柱は長持ちする、と言うのです。
 耐震構造の面から見ても、基礎と柱を金具で固定する工法が必ずしも優れているとは言い難いようですし、これ以外にも、言われてみればその通り、実に「理に叶っている」という事が随所に書かれているのですが…、
 だけど、実際問題、色々な面で、現代の家作りでは、ほとんど不可能だよな…と思わざるを得ないのが悲しいところです。

 なによりの問題は、私も含めた現代の日本人が、「三百年」家が保つ、ということに、があまり価値を見いださないだろうということなんだろうな、と思います。
 昔は、家を一度建てれば、孫どころかひ孫、夜叉孫そのまた子どもまでずっとその家に住む、という前提でした。
 ですが、今は、その前提自体が崩れてしまっています。
 自分一代しか住まないと考えると、三百年と言われてもあまり意味を感じられないのは致し方ないことかもしれません。

 また時代の流れが変わって、子々孫々、ずっと住める家を造りたい、という考えが主流になってきたとき、施工できる環境(職人、材料、道具)が残っていなかった、というのは、なんとも笑えない状況ですが、大いにありうるのがまた悲しいところです。

 ちなみに、私の考える「いい家」は、なんと言っても

 庇(ひさし)のある家!

 これにつきます。
 日本全国の植木屋さん皆さん、これには賛成してくれるはずです。
 庇があると、すっごく助かるんです。
  ちょっと雨がぱらついてきたときの雨宿り、
  夏の暑い日差しでの一服休み、昼休み、
  工期が長い現場での道具の置き場所。

 この内でも外でもない、曖昧な空間って、日本文化の独自性ではないかと思うのですけれど、最近の建物は、庇がない住宅が多いので、残念です。
 雨水、紫外線も遮るので、建物や中の家財道具のためにもいいですし、それから、庇があると、家の中から外を眺めたときの風景がキレイに見えるんです。
 「フレーム効果」と言うのですが、庇が絵画で言う額縁の役割をして、陰影を際だたせるので、風景が一層美しく見えるのです。
 たかだか景色でしょ? と思われるかもしれませんが、365日毎日毎日、しかも朝起きて一番に見える景色が美しいかどうかって、数字には換算できない価値があると思うのです。
 生活の豊かさを実感するためにも、庇のある家でお庭を眺めませんか?
 と強引に庭に結びつけて、なんとか、オチをつけて、長くなってしまった文章のまとめにしてしまいます。
| | 21:46 | comments(2) | trackbacks(0) |
【本】西村金造・大造・光弘著『京石工芸 石大工の手仕事 西村石灯呂店作品集1995-2006』現代書林
今日はいちにち朝から雪が降りっぱなしでした。
これがサラサラした雪だったら、雪踏みしたり、雪だるまを作ったりと、楽しみようもあるのですが、積もるそばから溶け出す、ビショビショとした重たい雪なので、見ていてもあまりキレイではありません。
冬眠中のクマのように、家の中にこもっていました。

京石工芸石大工の手仕事―西村石灯呂店作品集1995-2006
京石工芸石大工の手仕事―西村石灯呂店作品集1995-2006
西村 金造, 西村 大造, 西村 光弘

先日読んだ灯籠の本の紹介です。

「灯籠」というと、どうしてもコテコテの和風庭園のイメージがあります。
好みが多様化した現代では、好き嫌いがはっきりと分かれるところではないかと思います。

では、そもそも灯籠をお庭に入れるようになったのはいつのことでしょうか。

初めて灯籠を庭に入れたと言われているのは、安土桃山時代の千利休です。
庭全体の歴史から考えると、そんなに古い時代のことではありません。

今の時代の灯籠は、一言で言えば庭の装飾品で、そこに機能を求める人はあまりいないと思いますが、千利休が灯籠を入れたのには、「灯り取り」のためでした。
お庭の足下などを照らすための、照明に使ったのです。

それまで、灯籠と言えば、神社仏閣にだけ使われていたものですから、相当、斬新だったと思います。
瞬く間に庭好きの人々の心を捉え、寺社にある古い石造物が盗まれることも頻発したそうです。
神をも恐れぬ所業、という言葉がありますが、当時の人たちには、関係のない言葉だったようです。
罰や祟りよりも自分の庭をカッコよくする方が大切だったわけですね。
灯籠のみならず、お墓にされていた五輪塔、層塔などまで盗んで、あるいは高額で買い取って、自分のお庭に飾ったそうで、イヤハヤ、凄いことです。

最初はこのように、寺社から調達していた灯籠ですが、そのうち、庭に入れるための灯籠も作られるようになりました。
その流れが現代まで繋がっているというわけです。

でも、今でも「名品」といわれる灯籠は、鎌倉から南北朝にかけてと、桃山時代あたりに作られた、古いものに多いそうです。
けれど、現代にも名品を作る石工さんがいらっしゃいます。
それが、この本の著者の西村金造さんです。

私も石造物の善し悪しがそんなにわかるわけではないのですが、
やっぱりこの本に載っている写真の石造品を見ると、なんとなく
凛とした気配が漂っているように思います。

造形的な美しさだけではありません。
作業のすべてを手仕事で行うという西村石灯呂店の作った灯籠は、あの阪神淡路大震災の時にも倒れなかったのだそうです。

その理由は、「ほぞ」です。

灯籠は幾つかの部分に分けて作られ、最終的に、その部品を組み合わせて立ち上げます。
その組み合わせるときのつなぎ目に、きちんと「ほぞ」が入っていている灯籠は、地震の時にも、あまり倒れないのだそうです。
西村石灯呂店以外では、鎌倉時代の灯籠は、きっちりほぞが入っていて阪神淡路大震災の時にも倒れていないとのことでした。

やっぱりきちんと作られた品は、見える所だけじゃなく、見えない所でも違っているのだと感心させられました。


石造品ついでに、紹介しておきたいのが、溝口健二監督作品の映画、『山椒大夫』と『雨月物語』です。

雨月物語
雨月物語

何で映画と石像品が関係あるの?と思われてしまいそうですが、
映画の中に出てくる、登場人物の墓の石塔が、おそらく、鎌倉〜室町時代頃に作られた名品と言われる石塔達なんです。

何げないシーンなので、見過ごしてしまいがちですが、気づいたときにはちょっと感動ものでした。
わざわざこんな些細なシーンにも名品を選んで使うことからも、溝口健二がどれだけ細部にまでこだわったのか理解できるような気がします。
映画そのものも素晴らしい出来なので、最近の映画やテレビに飽き足らなく思っている方、是非ご覧になってみて下さい。
レンタル屋でも置いてありますし、いわきなら総合図書館で貸し出ししていたと思いますよ。
| | 13:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
【本】『日本の森を支える人たち』中沢和彦著・晶文社
今日はうちの裏にあるお不動さんのお祭りでした。
植木畑の草引きと剪定に夢中になっていて、気づきそびれました。
親方は風呂上がりにビール片手に見学に出かけましたが、私は風呂上がりに風邪ひくとイヤなので、こうしてパソコンに向かっています。
時折、若者の笑い声が聞こえてきます。
過疎地田人においては、夜に人の話し声を聞くことは、タイヘンに珍しいことで、新鮮です。

さて、今日の本題は、お勧め本のご紹介。
『日本の森を支える人たち』。
タイトル、内容そのまんまです。

林業に関わる様々な人たち、森の育成や伐採などだけではなく、木馬(きんま)引き、競り人、木挽き師、木羽葺き師、樽丸、炭焼きなどなど、木に関わる様々な人たちへのインタビューが並んでいます。

注:
木馬(きんま)…重機がなかった時代、伐採した材木を運び出すときに、ソリ状に木材を組んで、斜面を滑らせて運ぶやり方。とても危険です。

木挽き…切り出された木材を、さらに材としての形に切り分ける仕事。今は、機械化されているので、木挽き師という存在自体が、ほとんどいないらしいです。

木羽葺き…屋根を小さな板材で葺いたもの。吹いた板材は固定せず、上に漬け物石よりもやや大きいくらいの石を乗せるそうです。

樽丸…樽や桶を作る形状に材を形づくる人。


家を建てる材ひとつを切り出すにしても、昔は、大工さんが図面をひき、その図面を片手に木挽き師さんが直接山へ出かけ、木を選んでいたそうです。
「この家のこの部分にはこの木がいい」
反りや、育っている環境などで、最適な使用箇所があるんだそうです。
同じスギでも、産地によって油分の多い少ないがあって、それによって用途を変える。
同じ材の中でも、部分や切り方によって性質は変わってくる、それぞれの性質に応じて、最適の使い方を見つけてやる、それが木に関わる人たちの仕事だったのです。

この本を読むと、ほんの少し前、昭和で言えば30年代頃までは、私たちの生活が、どれだけ木や森と深く関わり合いながら成り立ってきたか分かります。

森、山と言えば、環境破壊、森林保護の動きが思い浮かびますが、私は、環境保護一辺倒の自然観にはちょっと違和感を持っています。
やはり、日本の文化は、木を利用することによって成り立ってきた部分が多いわけです。
「利用」と言っても、人間側からの一方的な搾取というわけではなく、利用するまでの多大な労力に見合うだけの敬意を森や山に対して持っていたんだと思います。
その利用の過程で、「文化」と呼べるような職人技が生まれてきたのですから…。

自分自身のライフスタイルを見直そうという気にさせられる本でした。
手始めに、弁当箱にはホンモノの「曲げわっぱ」を使うべきだろうか?と検討中の今日このごろです。
| | 19:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
【本】『茶道の庭』福田和彦著 鹿島出版会
 「庭師を目指すなら茶道は必須」とは、よくよく普通に言われていることですが、お茶の心得は皆無に等しい私です。
 興味がなかったわけではなく、大学時代、茶道部の体験入部というのを経験したことがありました。
 その時に、ここで何歩前に出て、ここで袱紗を広げて、ここで掛け軸をみて、ここで向きを変えて、茶菓子の食べ方はこうで、お茶を頂いた後はこうして、……と延々と続くお作法の講義に、お茶の味も茶菓子の味も何一つわからず…。
 子供の頃、なぜか猛烈にお抹茶を好きになったことがあって(たぶん祖母の家に備前焼の茶碗が幾つもあったのを見て興味を持ったのだと思います)、家で3時のおやつの時に、母と我流でお抹茶を点てて、お菓子を食べていたことがあります。
 他のお宅は知らないのですが、私の実家は、何かとお茶(普通の煎茶です)をよく飲む家で、10時、3時に限らず、帰宅するとまずお茶、一仕事するとお茶、食事の準備が出来たらお茶、食事中ももちろん、食事の後にもお茶と、今から考えると、これもお茶文化なのだなぁと感じるのですが、まあともかく、その延長でお抹茶もいただいていたのでした。
 点て方も作法も何にも知りませんでしたが、あの頃好き勝手にいただいていたお茶の方が、作法作法のお茶よりよっぽど美味しかった、と思った私は、それ以来、茶道とはすっかり疎遠になってしまっているのでした。

 そうは言っても茶道に関心がない訳ではないので、古本屋さんでたまたま見つけたこの本を広げてみたのでした。
 大変勉強になりました。
 茶道は、利休以前からずっと、お茶人によって創意工夫を凝らされながら続いてきたものだった、という事がわかります。
 形式を守ることだけに汲々とするのではなく、その中から各自、自分の思う茶の心を求めて、自由に形式を変えることができたわけです。
 それが茶の湯の奥深さにつながっていったのだと思います。
 そのためには、もちろん、深い知識と審美眼と財力が必要だったわけですが。

 この著者自身、特定の流派に属したことがあるわけでなく、茶人との交流の中で自然に身につけた、と書いてありますが、そのせいか、著述の仕方が形に囚われず、お茶の庭についてフェアな視点を持たれていると思います。
 利休より織部より遠州より、修学院離宮を造営した後水尾天皇や桂離宮を造営した八条宮を絶賛している辺り、面白いなぁと思います。
 もちろん、利休や織部などの先達の業績がなければ修学院離宮も桂離宮もできなかったことは、きちんと書かれています。

 茶室や茶庭のしつらいについて、「あさあさ」とか「ふかぶか」とか「きっぱり」とか言った擬態語が使われていて、多分、前例があるのだと思いますが、おもしろいです。
 
 お茶という日本の独自の精神文化を概略する本としては、読みやすく、またいい本ではないかと思います。

 この本に書かれてあるような往事の前衛的なお茶や、オリジナリティーあるお茶って今はあまり聞きませんが、そういう茶道を試みられている方っていらっしゃらないのでしょうか。
 もしいらっしゃったら是非ともご教示頂きたいものだと感じさせられました。

 

 
| | 20:30 | comments(2) | trackbacks(0) |
【本紹介】『へうげもの』山田 芳裕 講談社モーニングKC
今週は暑かったので、ほっと一息の雨休みです。
雨の日は、晴耕雨読で本を読もう!
というわけで、本の紹介、と言ってもマンガなんですが。

オンライン書店ビーケーワン:へうげもの 1

タイトルの『へうげもの』は「ひょうげもの」と読みます。
主人公は、古田織部。
織部と言えば、千利休の弟子の茶人。
かの有名な織部灯籠を考案したことで名を残していますが、家康に切腹を命ぜられたことから、江戸時代を通じて織部について触れるのはタブーのような雰囲気があったらしく、彼に関する資料はほとんど残ってないらしいです。
そこに目を付けたのがこのマンガで、かなり自由に織部のキャラクターを作っています。

千利休、山上宗二、細川忠興、豊臣秀吉、織田信長…当時の歴史上の人物が大量に登場しますが、キャラクターの作り方がうまくて、読ませます。
もちろん歴史を素材にしたフィクションなので、史実ではない面も含まれていると思うのですが、当時、まだ茶の湯と呼ばれていた茶道については、結構、いい線をついているのではないかと思ったりしています。

このマンガに登場する人々は、主人公の織部を筆頭にみな非常に俗っぽいのです。
利休はちょっと別格の扱われ方ですが、それでも、俗っぽい。
高額な茶器をめぐって、みんなで目の色を変えて騒ぎ立て、自分がどれだけの数寄者であるか、つばぜり合いをし、莫大なお金をかけたりしてしまうわけです。
自分がいかに「美」を知っているか、ある意味バカバカしいとも思うのですが、バカバカしさに人生をかけるその潔さが逆に痛快です。
だけど、この俗っぽさが高度な精神性に繋がっていくという点がおもしろいところです。

茶道に精神性が強調されていくのは、江戸時代中期以降だという話を読んだことがありますが、織部が生きた安土桃山時代はいまだ戦国時代の延長、いつ死んでもおかしくないわけです。
常に死と隣り合わせにあるような時代には、精神論はおそらく必要とされません。
なぜなら、死が隣にあるという現実だけで充分に人間の精神は緊張状態に置かれるからです。
精神論が大きな声で叫ばれるようになるのは、死が縁遠くなった平穏な時代、人間の精神が弛緩している時期でしょう。
これって現代にも当てはまるわけですが。

お茶が総合芸術と言われていたのは、お茶をたしなむ人があらゆる「美」を見極める力を持っていたということに理由があると思うのですが、そのためにお茶人が払う莫大な労力と気力とお金と、ああ、安土桃山時代の豪華絢爛な文化とその対極にあるような「侘び」の文化はこんな風にして作られたのかもしれないなぁ、と思わせてくれるマンガです。
| | 14:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
【本紹介】『石造物が語る中世職能集団』 (日本史リブレット)
オンライン書店ビーケーワン:石造物が語る中世職能集団
著者:山川均  出版社:山川出版社

時間つぶしのために入った本屋さんで、たまたま見つけたこの本。
ずいぶんマニアックそうな本で、実際その通りの内容なのですが、とっても面白いです。

石造物と言えば、一般的に鎌倉時代のものが一番すぐれている、と言われていて、なぜ鎌倉なのか、ちょっと不思議に思っていました。
この本によると、鎌倉時代のすぐれた石造物のほとんどが同じ石工一族によって作られているのだそうです。

平安時代末期に平家の焼き討ちによって焼失した東大寺などの復興のために、宋(東寺の中国)から招かれた石工の一人が、この一族の祖になります。
やがて「伊」姓を名乗ったこの一族は京都・奈良などの西日本を中心に活動しますが、そこから枝分かれした「大蔵」姓の人々は関東地方で活躍をします。

残された数少ない石塔と史料から石工一族の系統まで割り出してしまうことに、まず驚きです。
推理小説を読むより、ワクワク度は何倍も高いですよ。
この本を読んで、石造物を見る眼が変わってしまいました。

そして、この本の面白い所は、石工一族の系譜を残された石造物から丹念に辿っていくだけにとどまらず、彼らが常に律宗の僧侶などと行動を共にしていたという点まで明らかにしていることです。
今でこそ、石工さんは単なる職業のひとつに過ぎませんが、中世の頃、石を加工するということは、禁忌に触れることでもありました。
石を刻むという行為は、大地の神に対する冒涜でさえあったのです。
これがゆるされるのは、僧侶などととても近い関係にある人々でなければなりません。
石工に限らず、中世の頃は生命に関わるものを操作する職業は、神職に近いような位置づけをされていたようです。



この頃に作られていた石造物を少しだけ紹介します。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)

これは京都の清涼寺というお寺さんのものです。
源融(みなもとのとおる)のお墓という説明がついていましたが、源融って9世紀の人です。
日本に残る宝篋印塔で一番古いものでも13世紀になってしまうそうなので、源融のお墓として建立されたものではなさそうです。
ちなみに、宝篋印塔の屋根の四隅にある飾りは、時代が新しくなるにしたがって反り返って派手になってくるそうです。
この写真のような真っ直ぐな形のものは、鎌倉から室町にかけての古い時代に作られたものであることが多いということです。

層塔(左)と五輪塔(右)

この写真は、宝筺院を紹介したときに、楠正之と足利義詮のお墓として紹介しましたが、塔の形としては、これよりもさらに古い時代のものである可能性が高いとのこと。
道理で裏側が崩れかけていたはずだ…。


ちなみに五輪塔って、何が五なのかと思っていたら、上からそれぞれ「空・風・火・水・地」を意味しているんだそうです。
これが合わせて五だから、五輪塔。
決して、輪っかが五つぶら下がっているわけではありません。
| | 20:18 | comments(4) | trackbacks(0) |
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