2009.01.05 Monday
【庭】白沙村荘
白沙村荘は、銀閣寺そばにあります。
橋本関雪という日本画家が大正から昭和にかけて作り上げた個人庭園です。アトリエとして使った建物もあります。
すぐ側にある銀閣寺はすごい人出なのに対して、こちらは驚くほど閑散としています。
去年、一昨年も感じたのですが、世界遺産に指定されているところは、大挙して観光客が押し寄せているのに、そうでないところは、見向きもされていないようでした。
えー、世界遺産に指定されているところだけが京都ではありませんよー。
と、さして京都に詳しくない私でさえ、銀閣寺へと素通りしていく人の群れに呼びかけたくなってしまうくらいの格差です。
実際、こちらのお庭は、とても感じが良く、素通りしていくのは勿体ないと思いました。
まず、何が凄いと言ったら、石像物です。
よくもこれだけ一級品ばかり集められたものです。
今だったら、どう逆立ちしても手に入れる事さえ不可能な博物館クラス(推定)のものがゴロゴロしています。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)と呼ばれる石塔です。
こちらは国東塔と呼ばれる、宝塔の一種です。
主に大分の国東半島周辺に分布している事からこの名前があります。
白沙村荘を見て回ると、鎌倉時代の灯籠や石塔もかなりあります。
日本の石像物は、鎌倉時代のものが最も優れていると言われます。
それは、その時代に、宋から優秀な石工集団がやってきたからと言われています。
その頃に何があったかというと、時代は平安時代末期…、日本史上、超有名人の一人、平清盛が大活躍していた頃になります。
平家による悪事は数々、平家物語で述べられていますが、一番有名なのは、南都焼討で東大寺や興福寺を焼いてしまった事です。
焼かれてしまったからには復興しなくては!
というわけで、その時に招いた石工の一族が、その後の日本の石像物の歴史を変えてしまうわけです。
日本史に燦然と輝く、石像物の黄金時代が、これから続くわけです。
その後の歴史でも、鎌倉期を超える石像物は作られていないと言われていますから、いかに優秀な石工さん達であったかわかります。
南都焼き討ちによって、平家一門地獄落ちは決定したのだと物語は言うわけですが、この事件がなければ、その後の様々な物語もこの石像物もうまれなかったわけで、結果的によかったのか悪かったのか、歴史は面白いものです。
ちなみに、灯籠を庭に入れるようになったのは、千利休からと言われていますので、作られた当時は、お寺さんなどに入れていたものと思われます。
こちらは、平安末の層塔です。
この層塔は、現在の石像物に主に使われている固い花崗岩ではなく、よりやわらかく加工しやすい凝灰岩が使われています。
そのため、花崗岩の石像物に比べると、風化がかなり進んでいます。
石像物ばかりに目がいってしまいそうですが、お庭も瀟洒という言葉がぴったりと似合いそうな、とても感じよい空間になっています。
施工に当たっては、橋本関雪が実際に、この石はここに、この灯籠はここに、と指示をしていたそうで、収集された石像物もしかり、画家の目利きというのは大したものだと感心させられました。
ただ、お手入れは…、入場料などだけでは維持管理が苦しいのではないかな、と感じさせられるものでした。
これだけいいお庭、いい石像物があるのですから、実に惜しいです。
そういうわけで、声を大にして銀閣寺方向に向かって叫んでおきます。
銀閣寺にお越しの皆さーん、ぜひぜひお近くの白沙村荘にもお立ち寄り下さいねー!
橋本関雪という日本画家が大正から昭和にかけて作り上げた個人庭園です。アトリエとして使った建物もあります。
すぐ側にある銀閣寺はすごい人出なのに対して、こちらは驚くほど閑散としています。
去年、一昨年も感じたのですが、世界遺産に指定されているところは、大挙して観光客が押し寄せているのに、そうでないところは、見向きもされていないようでした。
えー、世界遺産に指定されているところだけが京都ではありませんよー。
と、さして京都に詳しくない私でさえ、銀閣寺へと素通りしていく人の群れに呼びかけたくなってしまうくらいの格差です。
実際、こちらのお庭は、とても感じが良く、素通りしていくのは勿体ないと思いました。
まず、何が凄いと言ったら、石像物です。
よくもこれだけ一級品ばかり集められたものです。
今だったら、どう逆立ちしても手に入れる事さえ不可能な博物館クラス(推定)のものがゴロゴロしています。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)と呼ばれる石塔です。
こちらは国東塔と呼ばれる、宝塔の一種です。
主に大分の国東半島周辺に分布している事からこの名前があります。
白沙村荘を見て回ると、鎌倉時代の灯籠や石塔もかなりあります。
日本の石像物は、鎌倉時代のものが最も優れていると言われます。
それは、その時代に、宋から優秀な石工集団がやってきたからと言われています。
その頃に何があったかというと、時代は平安時代末期…、日本史上、超有名人の一人、平清盛が大活躍していた頃になります。
平家による悪事は数々、平家物語で述べられていますが、一番有名なのは、南都焼討で東大寺や興福寺を焼いてしまった事です。
焼かれてしまったからには復興しなくては!
というわけで、その時に招いた石工の一族が、その後の日本の石像物の歴史を変えてしまうわけです。
日本史に燦然と輝く、石像物の黄金時代が、これから続くわけです。
その後の歴史でも、鎌倉期を超える石像物は作られていないと言われていますから、いかに優秀な石工さん達であったかわかります。
南都焼き討ちによって、平家一門地獄落ちは決定したのだと物語は言うわけですが、この事件がなければ、その後の様々な物語もこの石像物もうまれなかったわけで、結果的によかったのか悪かったのか、歴史は面白いものです。
ちなみに、灯籠を庭に入れるようになったのは、千利休からと言われていますので、作られた当時は、お寺さんなどに入れていたものと思われます。
こちらは、平安末の層塔です。
この層塔は、現在の石像物に主に使われている固い花崗岩ではなく、よりやわらかく加工しやすい凝灰岩が使われています。
そのため、花崗岩の石像物に比べると、風化がかなり進んでいます。
石像物ばかりに目がいってしまいそうですが、お庭も瀟洒という言葉がぴったりと似合いそうな、とても感じよい空間になっています。
施工に当たっては、橋本関雪が実際に、この石はここに、この灯籠はここに、と指示をしていたそうで、収集された石像物もしかり、画家の目利きというのは大したものだと感心させられました。
ただ、お手入れは…、入場料などだけでは維持管理が苦しいのではないかな、と感じさせられるものでした。
これだけいいお庭、いい石像物があるのですから、実に惜しいです。
そういうわけで、声を大にして銀閣寺方向に向かって叫んでおきます。
銀閣寺にお越しの皆さーん、ぜひぜひお近くの白沙村荘にもお立ち寄り下さいねー!